眼科医がCSRになった体験談:新しい治療法?と新発見事実。
     (付録:地域医療報告 無眼科医地区で開業5年目)

               兵庫県出石町 飯田眼科 飯田高志

 私は1998年8月、学校検診が終わってちょっと一息ついた頃にCSRになってしまいました。

やはりストレスが多かったのと中年になったということでしょう。

8/5夜に自宅のテラスに敷いてある人工芝がでこぼこと盛り上がって見えたのが始まりでした。

今にして思えば健眼と患眼の間では片方のみが変視症をおこしたために左右の網膜での見え方が

違うのを脳が立体的な物を見ているように誤認したんでしょう。

(こういう自覚症状は教科書には書いていませんね)

なんだかおかしな見え方だとは思いましたが疲れているのかなと思っただけで

深く考えず床につきました。翌朝、外来で到像鏡で眼底を見たら黄斑部の色調が

悪くやや黒い色に見える患者さんがありました。詳しく見ようとスリットで90Dレンズを

使ってみたらその眼底の黒く見えた部分が大きくなりおかしいなと思った。

そして視線を動かすとその暗い部分がいっしょに動き、自分の眼がおかしいと

気が付くまでに約30秒。診察室の机からアムスラーチャートを出して見たら

しっかり歪んでいて愕然としました。その日の昼休みに無理を言って豊岡市の

大西先生に診てもらったところやはりfoveaを含むretinal edemaがあるとのこと。

自院に戻って、「もし自分がフルオでショック起こしたら誰も助けてくれないな」と思いつつ

看護婦さんに教えながら蛍光眼底写真を撮らせて所見を聞く。患者側の自分が

撮影している看護婦さんに光の入り方やピントの合っている感じを聞きながらカメラを

前後上下左右させて「最高に撮りやすい患者だよ」といいながら何とか撮ってもらいました。

そうして撮影中に少しづつ拡大する白い点があるとのことで確診。

その後は何を診ても中心に暗いareaが気になってしかたないが、仕事をしないわけに

いかないので日々の診療は続行しました。

蛍光写真を急いで現像してもらい見たところleak pointはfoveaに近く、

またあまり大きく拡大もなくlaser適応ではないと判断し内服治療の続行をしました。
 
 8/18から夏休みを予定通りにとって家族で石垣島に行きました。

ホテルのプールサイドで強い太陽の光を浴びてのんびりしていたらふとアイデアが。

もしかしたら軽い光凝固をしたらCSRが改善するんじゃないかと。

そこで太陽を見ながらleak pointを中心にして太陽光線が網膜にあたるように

自分の指先を太陽の方向に向けて空間をscanするように動かして同じ点に続けては

光線があたらぬ様にしてみました。数分間は残像が残る程度にしてみました。

これで良くなったらこの季節の石垣島に於ける晴天時の太陽光線の強さのdataを元にして

『fovea近くでlaser不可であったCSRに対し弱い光凝固が有効』なんて報告が

書けるのではと考えていました。やはり休暇を取るとアイデア?も浮かぶようです。

8/18,19日の2日間続けてそれをやってみたところ、早く回復したような感じがしました。

診療再開し忙しくしていた8/26に、ほぼ網膜感度低下と変視症は消失。

休暇を取ってストレスを解放したためか太陽光線によって軽度の刺激をあたえたことが良かったのか?です。

動物実験などで追試できる立場にある先生に『網膜に検眼鏡的には変化の出ない程度の軽い光凝固』をして、

その刺激によってCSRが改善する可能性があるかぜひ実験して欲しいと思います。

しかし夏休み4日間では短かったのか仕事を再開後すぐの8/30夜から比較中心暗点と

変視症が再発しました。地域医療はまとめて休みにくいのが困ったところです。

 そのまま内服を続行し症状は一進一退、網膜感度低下と比較中心暗転は日々変化していきました。

医院のこの場所に立ち壁の時計と比べると暗点がちょうど同じ大きさだとか

今日は時計の直径の80%になったとかしっかり経過観察をしました。

また寝室で照明器具の小さな電球のみの状態でエアコンの液晶リモコンの文字が

見えるかどうかなんて事で感度低下の変化を観察しました。

昼間の屋外ではずっと不自由のない状態でした。明るいところでは患眼の方が

かえって見やすいときもありました。網膜感度低下でサングラスをして見ているような感じでした。

少しづつ改善し12月中旬からはほぼ元どおり見えるようになって小康状態です。

内服は今年になってから中止で様子を見ています。

 症状が軽くなって発見したことがあります。

健眼でも変視症が状態改善と共に出てきたと言うことです。

網膜浮腫が強い間は患眼のみの変視症は当然です。

しかし程度が軽くなってくると両眼視するために脳の方でゆがみを補正しているのではないかと思います。

患眼でゆがんで見えるのとちょうど逆向きに健眼ではアムスラーチャートがゆがんで見えるのです。

しかも健眼のみで見続けたら30秒ぐらいでゆがみが消えていくのです。

一番その程度が強いときでは2分くらい見続けたらやっとゆがみが取れました。

これは脳の対応するのにかかる時間を表していると思います。これも教科書には書いてない新発見です。

 さてストレスはどんなところから来たのかと考えたのですがやはり日々の地域医療活動から来たと思います。

大学病院の最先端の眼科医療とまったく次元の違うコテコテの地域密着の医療についての報告です。

5分で読めると思いますのでお時間を下さい。

 兵庫県北部の但馬地域にある出石町(いずしちょう)は人口約11,000人。

隣の但東町(人口約6000人)と合わせて出石郡です。地図はこちら

地図を見てもらえばその広さは解ってもらえると思いますが、この面積に人口は17,000人で

眼科医は私一人です。この町で開業したきっかけは、豊岡病院に勤務していたときに

同じ豊岡病院組合立の出石病院に週に半日外来診察に行っていたことです。

車で20分走れば豊岡市で、そこには病院がありますが、多くのお年寄りに

「近くで眼科診療が受けられてありがたい」と言われました。週に1回木曜日午後のみの出張でした。

「出来れば毎日眼科があって欲しい」という声を何度も聞き、しだいにこの町で開業しようかなと

言う気持ちが出来て行きました。

 そして1994年8月末に豊岡病院を退職し10月初めに開業しました。

最近では町内に眼科があるのが当たり前になりましたが、開業後しばらくは多くの

お年寄りから「町内に眼科ができて嬉しい」と言ってもらえました。

 開院当初は普通に外来診療だけだったのですが、すこしづつ地域の中でユニークな活動を始めました。

2ヶ月めには、出石郡内であれば往診を引き受ける事にしました。

広い地域なので車で片道20kmの所も時にあり、だんだん依頼患者数も増えていますが

何とか今でも頑張って行っています。手持ちの細隙灯顕微鏡、眼圧計、倒像鏡等を持って、

場合によっては睫毛抜去鑷子なんかも持って行きます。寝たきりで逆まつげが当たって

困っている患者さんに定期的に睫毛抜きに行くなんてのも地域医療と思ってしています。 

 開業2年目には、出石町教育委員会から町内のすべての幼稚園、小中学校での

眼科検診開始を依頼され快諾、3年目には隣の但東町からも依頼がありちょっと

多くなるなと思いつつ快諾。また特別養護老人ホームの所長さん

(次男の同級生のお父さん:ローカルでしょ)に眼科の検診を出来ませんかと頼まれ、

うまく行くのかなと思いつつ引き受けました。往診同様に手持ちのスリット、眼圧計、

到像鏡を持ち、動けない方にはbedsideまで行って、半日かけて50人を診ました。

QOLから考えて検診の意味のない(と言ってはいけないのでしょうが)様な方もありましたが、

逆にベッドから起きられなくても頭はしっかりしており本を読むのが楽しみという方もありました。

有病率100%の検診でした。何しろ全員白内障または白内障術後です。

そして閉塞偶角緑内障になりかけの方も2人見つかって有意義でした。

老人ホームの方が兵庫県に問い合わせたところ県内では初めてとのことでした。

まあ全国的にも少ないと思います。以後毎年しています。

 そして1997年4月からは白内障の入院手術を開始しました。

それまでは豊岡病院等に紹介していましたが、出石で出来るようにしました。

地元の方からは近くで出来て嬉しいと喜んでもらっていますが、ストレスも増えました。

手術顕微鏡やphaco、YAGレーザー、Aモードエコー、IOLを私が購入し、

手術点数の一部をもらう契約です。週に2例では赤字ですが、やり甲斐があります。

顕微鏡は国産で何とかしようと思いましたが結局よく見えるZEISSにしました。

ふつうの病院の眼科外来を飯田眼科が、手術室と病棟に相当する部分を出石病院が

受け持つという形になっております。公立病院と開業医の連携として、ユニークな形での

手術をしています。手術は毎週火曜日、飯田眼科の昼休みの時間(午後1時から3時)に

しており今のところ週に2例です。全く経験のない看護婦さんを訓練して手術しており

当初は冷や汗が出っぱなしでした。

 先に書いたように出石郡で唯一の眼科医ですので、この範囲内は責任を持とうと

但東町の依頼も引き受け、出石郡内のすべての学校(幼、小中高、養護学校)15校もの

校医になっています。一部の学校は人数が多く一日では終わらないので検診に出ていく日が

20日もあり合間を縫って往診や外来手術もしていましたので、検診シーズンはたいへん忙しいのです。

学校保健法で検診を6月末までに終えることと決まっていても、不可能で7月の夏休みに

なる前の週までかかって検診しました。地域の実情に合わない決まりだと思います。

一年を通してまんべんなくすればもっとスムーズに出来ると思います。

おそらく今回のCSRはこの疲れが引き金になったと思います。

今年からは検診の方法を考えないと毎年このままでは体が持たないと思います。

 このようにしんどいことも多いですがそれでも地域医療は、やり甲斐があります。

ほかに眼科がないので、糖尿病網膜症で何度もlaserして何とか視力を保っている方や、

緑内障でfull medicationで何とか視野が保たれているような症例など都会であれば

大病院に行ってしまって開業医には来てくれないだろうと思うような症例も少なくありません。

もちろん普通の結膜炎や花粉症やコンタクト、眼鏡処方なんかも多いです。

眼鏡処方には力を入れて来ましたが5年目になると先に眼鏡店へ行かずにまず眼科で

合わせた方がよいと考えてくれる方がずいぶん多くなりました。

 白内障手術が怖いからと、眼科受診をしなかった方が、幼なじみが手術してよく見えたのを聞き

こわごわ受診。術前LS+が術後1.5になって涙を流して喜んでくれたなんて事もあります。

この視力改善程度は最近の都会じゃ無いでしょう(笑)。最近では視力0.15のおばあさんが

足が悪くて歩いては持ってこれないのに新米を食べてもらおうとバイクに乗せて持ってきてくれた事が

あり、気持ちは嬉しいですが事故が怖いのでバスで来て下さいとたのむように言いました。

また昨年は野菜のできが悪かったのに自分の畑で作った物だと立派な白菜や大根を持ってきてくれる

患者さんもありました。そういう人々がいるのでがんばる気になれます。自宅の電話番号は公開し、

時間外に医院に電話があったら留守番電話が急患の場合は自宅番号に電話して下さいと言うよう

設定し、郡内の急患は必ず引き受けています。こうして地域医療をしているとストレスもたまります。

もしこの文章を読んで代診の先生を送ってやろうかと思ってくれる先生がおられたら大歓迎です。

今一番欲しい物はまとまった自由な時間です。

 最後に当院の自慢です。開院以来STAFFが一人もやめていない事です。

STAFF5人でスタートし忙しくなってくるのに合わせて1人ずつ増やして現在は7人です。

みんなが気持ちよくやり甲斐を持って仕事できるようにといろいろな気配りをしています。

そういうのもストレスの原因の一つかもしれません。また機会があったら医院のマネジメントに

ついての随筆も書こうと思います。          
                                1999.1.11記
この文章は1999年の京都大学眼科同窓会報の原稿そのままです。
現在はこの文章と内容が異なっている部分もあります