言葉は長い間に少しずつ変わっていく物だとは分かっていましたが

自分が『ぜんぜん』についてどうもなじめないと思った事と同じ事を

明治時代の文学者が『とても』で感じていたことを新聞記事で見ました

その文学者の名前は、かなり有名な方なのですが。。忘れました(^_^;)

(芥川龍之介だったような気がしますが不正確)


そのなじめ無いという言葉の使い方は『ぜんぜん』のあとに続く言葉は

私の感覚では否定形しかないのですが。。記憶では漫才などでぜんぜんの

次に否定形じゃない言葉で笑わせるようなのが始まりで。。その後には

『very』に相当する言葉として『ぜんぜん』を使う若い人たちが出てきたと言うことです

でも『とても』は私の感覚の中で『very』と同義語でしたが。。昔はちがったのですね


いまでも とても出来ませんとか言う否定が続く言い方は普通にありますが

これはとてもおいしいなんて言い方も 私は普通だと思っていました

でも 明治時代には そうじゃなかったと読んで 私が ぜんぜんのあとに

肯定文を使う人をおかしな言葉使いと思っていた感覚を 少し改めました

その方にとっては 私が とても良いですねと言う 使い方と同じなんだと

言葉は こうしてどんどん変わっていくんですね

ちなみにこの文章を書いてたら 小学生の娘が来たので 

たとえばおいしいをもっと強く言いたい場合にぜんぜんおいしいと

言うかって聞いてみたら。。それなら ちょーおいしい だって (^_^;)

私が子供の時には そんな言葉無かったですね。

2003.02.23 記