1957年 神戸の下町にて出生
(おかげさまで話しやすい医師であると患者さんから言われてるのは
子供の頃に育った環境によるかなぁって思います(∩.∩)
1976年 兵庫医科大学入学
(兵庫県推薦制度にて:神戸生まれの私が但馬に住みつくきっかけです)
兵庫県推薦制度:当時地方の医師が少なかった兵庫県は
自治医大だけでは地方で勤務をする医師の養成が不足すると考え
自治医大と同様に学費を県が出すかわりに卒業後に県の指定する
地域医療機関に勤務する義務が生じる学生を一般入試と別枠で
募集していました。年間5人でした(今は1人になっています)
兵庫県の養成医師は但馬で勤務医、開業医として少なからず活躍中です。
具体的なお名前は出しませんが公立病院長が3人
その他地域中核病院の各科責任者も少なくありません。
1982年春 大学卒業、医師国家試験合格
(念のため:医学部は6年間ですから大学で途中休憩はしていません(^^;)
1982年6月〜1984年5月:兵庫県立尼崎病院勤務
兵庫県医務課に籍のある研修医として全科ローテーション研修
(当時、研修医は何か一つの科に所属してその科での研修が普通でしたが
地方に行って一人でも何でも出来るようにと内科6ヶ月、外科6ヶ月、小児科3ヶ月
県立西宮病院三次救命救急センター3ヶ月、産婦人科1ヶ月、整形外科1ヶ月
泌尿器科2週間、耳鼻咽喉科2週間 好きな科1ヶ月(眼科を選択)etc.)
1984年6月〜1987年5月 公立出石病院 内科 勤務
(学生時代の終わり頃から眼科医になりたかったのですが地方への派遣では
内科か外科以外の選択が許されませんでした)
しかし週1日は豊岡病院眼科に研修に行き眼科の診察、手術もさせてもらっていました
1987年6月〜1989年5月 兵庫県立尼崎病院 眼科 勤務
ここから晴れて眼科医の道を歩みはじめます。
私の師匠:松村美代先生(現関西医科大学眼科教授)に眼科医としての基礎を
教えていただきました。今でも良い師匠に巡り会えたとたいへん感謝しております
1989年6月〜1994年8月
公立豊岡病院 眼科 勤務:眼科医は2人での期間が長かったです
その時のもう1人は現在豊岡で開業中の大西先生でした
1994年10月〜現在
出石町にて飯田眼科を開業(始めは町分にて、2000年7月から現在地に移転)
豊岡病院の勤務医時代にそろそろ転勤命令が出そうだし
子供もだんだん大きくなってきたし転勤のない生活を考えるようになりました
当時毎週木曜の午後のみ出石病院に眼科の出張診療に行ってましたが
眼科のない町で毎日眼科があって欲しいという声をたくさん聞きました。
どうせ開業するなら眼科医の居ない町でした方が価値があるかなと思いました。
開業後の予想ではまあ経営に困るほどではないでしょうと言う予想だったのですが
今では予想以上に患者さんにたくさん来ていただき最近ではちょっと疲れ気味です。
外来がだんだん多くなりまた出石郡の全ての学校医を引き受けており学校検診等でも
疲れてしまい体調がおかしくなったため残念ながら2002年2月で白内障手術を中止
させていただきました。(手術中止は2001年3月に決心。しかし手術待ちが11ヶ月
あったため、2002年2月までしました。)
以前内科をしていたので糖尿病性網膜症の患者さんと話をしても内科的なことも
分かるので話がしやすい時などもあり経験は無駄になっていないと思っています。
同じ患者さんにむかし胃カメラを最近は白内障手術をしたなんて面白い事もあります(^^)。
院長 飯田高志